カーボンクレジット市場の仕組みと日本企業の活用状況|GX投資家が知っておくべきこと
CO2の排出量に値段がつき、市場で売買される。この仕組みが日本でも実際に動き始めました。 ただ、GXリーグ、GX-ETS、J-クレジット、東証カーボン・クレジット市場——似た名前が並んでいて、 それぞれが何をする制度なのかが分かりにくいのが正直なところだと思います。 この記事では制度の関係を整理したうえで、クレジットという商品が抱える「質」の問題を、あえて厳しめに書きます。
4つの制度の関係を、まず整理する
混乱の原因は、性格の違う3種類のものが同じ文脈で語られていることにあります。 「ルールを作る枠組み」「クレジットを生む制度」「取引する場所」——この3つに分けると見通しがよくなります。
- GXリーグ…枠組みです。カーボンニュートラルに取り組む企業が自主的に参加し、目標設定と開示のルールを共有する場。2023年度に本格稼働しました。
- GX-ETS…GXリーグの中核にある排出量取引制度そのもの。第1フェーズ(2023〜2025年度)は自主参加でしたが、GX推進法の改正により2026年度から一定規模以上の企業に参加が義務化されました。対象は年間排出量10万トン以上の事業者で、数百社規模とされています。
- J-クレジット制度…国がクレジットを認証する制度。省エネ設備の導入、再エネ発電、森林管理などによる排出削減・吸収量を、国が「クレジット」として認証します。クレジットを生む供給側の仕組みです。
- 東証カーボン・クレジット市場…2023年10月に開設された、J-クレジットを売買する取引所。それまで相対取引が中心だった売買に、価格が見える場を与えたのが最大の意味です。
整理すると、J-クレジット制度が商品を作り、東証がそれを売買する市場を提供し、GX-ETSがそれを使う需要を生むという関係です。 さらに2028年度からは化石燃料賦課金、2033年度からは発電事業者向けの有償オークションが予定されており、 制度全体としては「排出にコストを乗せていく」方向で組み立てられています。
東証カーボン・クレジット市場の実際の姿
開設から2年半あまりが経ちましたが、市場の実像はまだ非常に小さいというのが率直な評価です。
取引されるのは主にJ-クレジットで、由来別に「省エネ由来」「再エネ(電力)由来」「再エネ(熱)由来」「森林吸収由来」などに分かれ、それぞれ別の価格がつきます。 約定価格には明確な序列があり、省エネ由来が最も安く、森林吸収由来が突出して高い。 用途が限定されるものほど、また物語性のあるものほど高値がつく構造です。
| 種別 | 価格帯の目安 | 主な用途・特徴 |
|---|---|---|
| 省エネ由来 | 2,000〜3,000円台 | 供給量が多く最も流動性がある。用途の制限が少ない |
| 再エネ(電力)由来 | 3,000〜4,000円台 | RE100等の再エネ比率報告に使える点が需要を押し上げる |
| 再エネ(熱)由来 | 3,000円台前後 | 供給量が限られ、約定自体が少ない |
| 森林吸収由来 | 1万円超も | 「国内の森林を守る」という訴求力から高値。供給は極めて限定的 |
規模感を掴んでおくことが大切です。日本の年間温室効果ガス排出量はおよそ10億トン。 対してこの市場で取引されるクレジットは年間で数十万トン規模にとどまります。 桁が3つ以上違う。現時点のカーボンクレジット市場は、日本の排出削減の主役ではまったくありません。
価格水準も重要です。EUの排出量取引制度(EU-ETS)の排出枠は1トンあたり数十ユーロ、日本円で1万円前後で推移してきました。 日本のクレジット価格はその数分の1で、削減インセンティブとしてはまだ弱い水準です。 設備投資でトンあたり1万円かけて削減するより、数千円でクレジットを買うほうが安いなら、企業は後者を選びます。
クレジットの「質」——ここが最大の論点
カーボンクレジットについて、私が最も注意して見ているのは価格ではなく質です。 国際的には、質の低いクレジットが大量に流通している問題が繰り返し指摘されてきました。論点は3つあります。
1. 追加性(additionality)
「そのプロジェクトは、クレジット収入がなくても実施されたのではないか」という問いです。 ベースライン・アンド・クレジット方式は「何もしなければこうなったはず」という架空のシナリオとの差分を測るため、 そのシナリオの置き方次第で、クレジット量はいくらでも膨らみます。 海外では、経済合理性だけで十分に成立する省エネ設備更新にクレジットが発行されていた例が多数報告されています。 追加性がないクレジットで排出を相殺すれば、地球全体の排出は減らないまま、帳簿だけが綺麗になります。
2. 二重計上(double counting)
1トンの削減が、複数の主体でそれぞれ計上されてしまう問題です。 クレジットを売った側と買った側の両方が削減を主張する、あるいは企業の削減と国の削減目標で二重に数えられる。 パリ協定第6条では、国際移転の際に売却国が自国の目録から差し引く「相当調整」の手続きが定められましたが、 国内制度でも売った側が自社の削減としても数えていないかは確認が要る点です。
3. 永続性(permanence)
森林由来クレジットの根本的な弱点です。木が吸収して固定した炭素は、山火事・病虫害・伐採で大気中に戻ります。 米国では、カリフォルニア州の森林オフセット制度で、100年間の永続性を前提に発行されたクレジットの対象林が 大規模な森林火災で焼失する事例が起きました。制度側はバッファ(保険用のプール)を積んでいますが、 気候変動そのものが火災リスクを押し上げているため、当初の想定が持たない可能性が指摘されています。
東証で森林吸収由来が高値で取引されているのは需要の裏返しですが、 価格が高いこととクレジットの質が高いことは別の話です。ここは混同されがちだと感じています。
日本企業はクレジットをどう使っているか
国内企業の活用パターンは、おおむね3つに整理できます。
- 製品・サービスのオフセット…商品1個あたりの排出量を同量のクレジットで相殺し「カーボンニュートラル製品」として販売する。分かりやすい一方、削減そのものは進みません。
- 自社の削減目標への一部充当…減らしきれない分をクレジットで埋める。GX-ETSの下でも制度上のルールに沿った充当が可能ですが、無制限ではありません。
- 創出側としての参加…自社の森林、工場の省エネ、農地管理などでクレジットを作り、売却側に回る。林業・製紙・農業関連や、地方自治体と組む企業に見られます。
投資家として意味があるのは、実は3番目です。既存資産から新しい収益を生む可能性がある一方、 認証手続きに時間とコストがかかり、収益規模も現状では小さい。 「クレジット事業に参入」というリリースだけで評価が動くことがありますが、 創出量が年間何トンで、想定単価がいくらで、売上にすると何億円なのか——ここまで開示された例は多くありません。 数字が出ていない段階では、業績への寄与は判断しようがない、というのが私の立場です。
相殺への依存を、どう見分けるか
私が企業の開示を読むときに最も警戒しているのは、削減とオフセットが合算されて一本の削減率になっているケースです。 「2030年に50%削減」と書かれていても、その内訳が自社削減40%+クレジット10%なのか、自社削減20%+クレジット30%なのかで、 事業構造の変化の度合いはまったく違います。
国際的な基準であるSBTiは、まず自社の排出を実際に削減することを求め、クレジットによる相殺の位置づけを厳しく限定しています。 減らせない残余分を最後に処理する手段であって、削減の代替ではない、という考え方です。私もこの整理が妥当だと考えています。 したがって確認すべきは次の3点です。
- 削減目標のうち、クレジットによる相殺の割合が分離して開示されているか。
- 購入しているクレジットの種別と発行元が書かれているか。「カーボンクレジットを購入」だけの記載は、質の評価ができません。
- クレジット調達コストが今後の価格上昇局面でどれだけ増えるか。制度が強化されれば価格は上がる方向に働きます。相殺依存度が高い企業ほど、将来コストの変動に晒されます。
制度は「これから効いてくる」段階にある
まとめると、現時点のカーボンクレジット市場は規模が小さく、価格も低く、質のばらつきという課題を抱えたままです。 ここだけを見れば、投資テーマとしては過大に語られていると感じます。
一方で、方向性ははっきりしています。2026年度からのGX-ETS義務化、2028年度からの賦課金、2033年度からの有償オークション。 排出にコストを乗せる設計が段階的に組まれており、「排出量が損益計算書に現れる度合い」は年々上がっていく。 そのとき効いてくるのは、クレジットを上手に買った企業ではなく、そもそも排出原単位が低い企業だと考えています。
だから私はこの制度を、関連銘柄を探す材料としてではなく既存企業のコスト構造がどう変わるかを測る物差しとして使っています。 排出量トン数に将来の想定単価を掛けるだけでも、その企業が抱える潜在的なコストの規模は見えてきます。 次回は、その簡易試算のやり方を実際の有報の数字を使って書く予定です。